そのルーツは、戦国時代にさかのぼります。
戦国武士は、戦場で馬上から槍や弓を使い戦います。
馬から下り、太刀で斬り結びます。
当時の武装は鎧兜ですから最後は相手を投げ倒し押さえ込んで首をはねる。この押さえ込む格闘術が柔(やわら)、柔術です。
諸賞流,、竹内流、柳生心眼流、、楊心流、武備心流、天神真楊流等の、柔術の各流派には、相手を倒す法である殺法と蘇生法である活法を伝えていました。伝えるといっても、当時の武術は一子相伝といって、最も 優れた弟子を継承者として一人選び、奥義を伝えました前出の、天神真揚流伝書人之巻には、顎関節脱臼をはじめ骨折、脱臼の整復法が伝承されています。
明治維新後、柔術の殺法の部分は嘉納治五郎先生によって日本伝講道館柔道として生まれ変わり、現在オリンピックの正式種目となって世界のスポーツとして普及しています。
一方、柔術の活法は、柔道整復術として柔道整復師に伝えられました。もちろん「一子相伝」は廃止され、現在は、全国45校の厚労省、文科省指定柔道整復専門学校にて、教育され国家試験の難関を経て、柔道整復師名簿に登録された柔道整復師に伝承されております。
令和の柔道整復師は、国民の骨、関節、軟部組織の損傷を施術し、日夜、国民の健康維持に寄与しています。